Caligula(カリギュラ)2』 打ち明けることの怖さ、難しさ、そして大切さ。

目次

理想(おまえ)に現実(じごく)を見せてやる。

カリギュラ2』キャッチコピーより

前書き(プレイを検討されている方へ)

皆さんはこれまで生きてきた中で「後悔」をしたことがありますか。 私のように両手で足らないほどだったり、あるいは1つや2つくらいはならという人に、本作からシリーズに触れていつか一度は触れてほしいと思ったゲーム『カリギュラ2』の紹介と、なるべくネタバレを避けて感想を書きたいと思います。

※ネタバレについて

できる限り避けているつもりですが、自分の裁量は信用できないので、「記事のタイトルでなんとなく興味が出た」、「初プレイの新鮮さは損ないたくない、でもおおよそ全体的な価値観が合う作品かどうかは知りたい」という方には、電ファミニコゲーマーさんで掲載された、こちらのプロデューサー兼メインシナリオ担当の山中さんのインタビューが参考になるかと思いますので、ぜひ一度読んでみてください。

news.denfaminicogamer.jp

冒頭のあらすじ

 楯節学園の高等部で学生生活を送る主人公はある日、つらい悪夢やフラッシュバックを見るようになる。 体調が優れないため早退し自宅へ戻るため電車に乗ると、頭の中で少女が自分を呼び掛ける声が聞こえる。「バーチャドール1 キィ」と名乗る少女は「この世界はバーチャドール:リグレットが創った偽物の世界であり、5年前キィの「はは」2が引き起こしてしまった暴走事件3に酷似しているために現実世界で濡れ衣を着せられている。」と話し、一緒に、「はは」の汚名を晴らし、自分たちの現実に帰ろうと提案を持ち掛ける。
 そしてキィは主人公と同じく悪夢を見たという生徒たちとに声を掛け、現実に帰るために一緒に戦う仲間を集めるようにとも言う。自分たちの目をそむけたくなるような現実に気づきながらも仮想世界で過ごす傍ら、現実世界に帰ることを目指すことにした彼ら・彼女らとその活動を「帰宅部」と命名しキィを顧問、主人公を部長として活動を進めていくことになる。

メインシナリオを終えての感想

※ストーリーの結末にかかわるような部分への直接的な言及をなるべく避けたつもりですが、念のため折り畳みをしてあります。

私自身のカリギュラ2への入口

私自身は公式サイトの作品(楽曲)紹介トレーラーの動画を見てカリギュラ2により強く惹かれたという経緯もあって、予約特典のボーカルCDを本編の進行度合いより先まで聴くという触れ方をしました。トレーラーから敵である楽士も帰宅部メンバーと同じく現実で何かしらの後悔を抱えたためにリドゥにいるんだということを感じ取れるようなものになっていて、トレーラーで断片的に聞ける台詞やそれぞれの制作した楽曲の曲調や歌詞に選ばれる語彙、をもとに現実世界ではどのような境遇にあって、どのような後悔が生まれてそれを抱えているのかを想像して本編を進めながら答え合わせをしていくような感覚でプレイをしていました。帰宅部のメンバーについては楽曲がありませんが、これから先に緒に戦って人たちとの会話などを通して相手のことを少しずつ知って、このゲームの特徴である相手の内面や過去に「踏み込んで」いくのだろうな、と思っていました。

推測するということのゲーム的な楽しさと、その隣に感じる怖さ。

 自分の持つ深刻な悩みを打ち明けてもいいと互いに思えるような関係性になることは、一朝一夕では出来ない難しいことだと思います。それは『カリギュラ2』の中でもゲームシステム上の信頼度パラメーターというメタな形をしてはいますが共通していて、彼/彼女たちと行動をともにする中で少しずつ段階的打ち解けていく中でようやく知ることの出来るもので、物語の序盤では先に書いたような推測をすることしかできません。  物語を進めていくなかで、帰宅部のメンバーや予想や推測が帰宅部のメンバーの内面に実際に「踏み込む」前に、より強い確信のようなものに変わっていったり、あるいは自分の想像していたものと少し、場合によっては大きく異なって、当初に思っていたよりずっと深刻で過酷な境遇であることを思い知らされるようなできごとに遭遇することもあり、そこで零れでた各キャラクターの思い、この世界に引き込まれた理由かもしれない現実世界での経験のひと欠片に対して大きく共感をしたりあるいは「そこに至るまでのつらさや深刻さは何となく理解はできるけれど、共感はできない」と感じたりするようなシーンもありました。
信頼を深めたその先に、誰かの内面や過去に踏み込むかどうかはプレイヤーである私(たち)自身が任意で決めるられることで、皆が悩みや後悔を持って生きているという前提で一緒に戦っている各キャラクターのこときちんと知りたいと思うと同時に、自分で踏み込み耳を傾けると決めたまだ知らなかった友人や知人の一面と向き合うことへの怖さのようなものを同時に感じ、いくらかの親しみを持って過ごしてきたひとが打ち明けられたことに対して本当に向き合えるだろうか、「ちっぽけなこと」とか、「気にしすぎだ」という安易な言葉を漏らしたり、もっと自分が日常生活の中で密かにあるいは無自覚に偏見や、揶揄、嘲笑の気持ちをているような事柄が飛び出して来たときに自分はどうしてしまうのだろうかという不安がキャラクターエピソードを進めることを躊躇させ、ギリギリまで踏み込み切ることができずに、結末へと向かったことをおぼえています。

 もしもずっと弱くて、情けなくて、未熟だったとしても…

カリギュラ2』には帰宅部がいて、楽士がいて、サブクエストに登場する多くのキャラクターにもそれぞれ名前があり現実での後悔を抱えた上で作品世界に存在しています。その後悔の中には現代では世間的にみっともないもの、恥じるべきものとしてとらえられている属性や、一時の迷いであったり、意志の弱さからくる自業自得だと多くの人に口を揃えて言われかねないようなものもあります。その後悔や間違いが他者からどうみられ、扱われるものであるかを実はその人たち自身が日常を生きている中でもう肌身で感じていて、だから打ち明けることも怖い。一人で抱えて正解を見つけるしかないように思えてしまい、間違いと後悔を重ねていく。誰もが悩んで、そうでなかったらいいのにと思うけれど、折り合いをつけたつもりでも引きずっているような、そういう苦しさの中で嫌でもこれからも生きていくことになるであろうということをまだどこか不安で受け止め切れない部分もありながらも、自分自身と、一緒に過ごしてきた誰かといつかその苦しさが軽くなることを、互いに願って、祈って、望み欲して、現実をどうにか生きていきたいと思える結末でした。

理想(おまえ)と現実(じごく)どちら片方だけでは足りない

プレイを始めるとまず最初に耳にすることになる楽曲、『SINGI』の歌詞の一節とも強くつながるような基本的には地味で、鈍くて、でもごく稀にドラマや漫画、小説のように劇的で非日常的な苦しいことも起こり得るけれど、地味でありきたりなために誰かの視界に入ることのない自分や誰かの悩み、その苦しさ。稀で劇的であったためにそんなことがあるはずがないと一蹴され、まともに耳を方向かられることのない悩みや苦しみ。「あの時の帰宅部だったかもしれない誰か」と行き交い接することもある現実世界でそういうことに対して自分はこれからどういう接し方をするのか、何かを掲げて誓ったところでそれがきちんとできるのかを怖いけれども考えてしまう、時々止まって考えることをやめたくはないし、それをまたいつか忘れてしまう時が来るのがことが怖い、ゼロか1かだけでは語ることが出来ないようなことがらについて、『カリギュラ2』は現代に悩み生きるたちをテーマに作品を描く以上は仮にフィクションとして地味で退屈、窮屈でもどっちつかずに映ったとしても両面をなるべく丁寧に描きたいという強い思いを感じる素敵な作品でした。

後記

コンクールなんて柄にもないのですが、せっかくの6周年企画ということも手伝って、1人でも多くの人にカリギュラ2に触れてもらえるきっかけになればということもあり、おぼつかない文章力だったかと思いますが読んでくださった皆さん、ありがとうございました。

楽曲リンク(Spotifyhttps://open.spotify.com/album/4vWOV1s

筆者の心の奥に踏み込みますか?

これは小鳩先輩をベースに釣巻先輩、クランケさんとかが足し引きされて混ざりあったような境遇や後悔をしている帰宅部の視点からみたカリギュラ2の感想です。

カリギュラ6周年感想文コンテスト


  1. 個別に意思を持った、私たちの現実世界における「ボーカロイド」のような存在。

  2. 前作:「カリギュラ」、またはリメイク版にあたるカリギュラOverdoseの登場キャラクターであるバーチャドールのμ(ミュウ)。

  3. つらい過去やトラウマを持つ人々を自分が創った仮想世界「メビウス」へ誘い込んだとされる事件。(作中で断片的に説明あり。)